え、いらない?


略歴
横浜市立栗田谷中学校、私立武相高等学校を経て、1985年に横浜放送映画専門学院(現:日本映画学校)を卒業。

1987年2月、専門学校時代の同級生だったお笑いコンビ・ウッチャンナンチャンの内村光良と南原清隆、入江雅人らと『劇団SHA・LA・LA』(当初は『Project team SHA.LA.LA.』)を旗揚げし、公演を開始する(1998年8月まで活動)。この頃、『男はつらいよ』の第37作『幸福の青い鳥』と第39作『寅次郎物語』に端役で出演している。

1990年4月からは日本テレビ系列のバラエティー番組『ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA』に出演し、この頃からテレビタレントとして本格的に活動を始める。その後、同局の『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』などにおけるドッキリ企画などの際の立ち振る舞いやリアクションの面白さが徐々にお茶の間に浸透し、次第にテレビ番組において欠かせない「汚れ役」としての地位を確立していった。また、これとほぼ同時期に、ウッチャンナンチャンがパーソナリティを務めるラジオ番組『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』に出演し、「男・出川哲朗!」のコーナーでフィーチャーされるなど人気を博した。

一方、有名税から色恋沙汰をはじめとしたプライベートな時間も犠牲にされ、多くの写真週刊誌・ゴシップ紙の恰好のターゲットとなった(もっとも、本人はその事すらネタにしてしまっている)。またこの「汚れ」キャラクターが世の中に浸透していくにつれ、女性視聴者層から敬遠される傾向が出始め、女性ファッション誌『an・an』が毎年行なっている読者アンケート「嫌いな男ランキング」では毎年上位にランクインするようになり、2001年から2005年までに5年連続1位を達成し、「殿堂入り」扱いとしてアンケートから除外対象となった。

2004年4月5日、元モデル・レースクイーンの阿部瑠理子と結婚し、嫌われキャラとのギャップで世間を騒がせた。プロポーズの際には、テレビ朝日系列のバラエティ番組『ロンドンハーツ』が全面バックアップ。推定5,000万円の制作費を費やしてイタリア・ローマ市内でロケーションが行なわれ、一連の模様が全国ネットで放送された。

2008年1月に放送された特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ'08』では、さまぁ~ずの大竹一樹とのコンビで優勝。

2009年4月23日にインターネット放送のアメーバビジョンで、自身初の冠番組となる『出川哲朗の俺をおいしくしろ!』がスタート。

WIKIPEDIA

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